1964年オリンピック東京大会はあらゆるものを呑み込むブラックホールのようだった。矛盾も理不尽も「今日よりも明日」の合唱で一括に付され、高度成長経済の階段を駆け上った。音楽にも勢いがあった。軽快ハイカラな「シェリー」、「高校三年生」や「あゝ上野駅」のイントロは力があった。幻の東京オリンピック以前に植えられ、裕に100年は経つであろう幹周り70㎝を超える柚子の木。昨日一昨日、トゲの攻撃を受けながら八方伸び放題の大枝をバッサリ。ひとつ肩の荷が降りた。
花見後の3日から一週間、台湾を巡った。格安LCCで台北へ飛び、バスと列車で花蓮、瑞穂、金崙、恒春、高雄と東部〜南部をぐるり。もちろん温泉にグルメ、夜市と懐かしさえ感じる街並みをまったり歩いた。歴史と経済の後ろ盾なのだろうが、いく先々で自分を温かくかつ興味深く迎えてくれる現地の人々に謝謝(シェイシェイ)、嬉しい限りだった。驚いたのは帰国後、色物を交えた医事漫談のケーシー高峰さんが亡くなったことを知った。個性ある好きな芸人がまた一人消えた。残念。改めてこう言いたい。謝謝いや「グラッチェ」と。
時代がガラゴロ動いている。裕也さんに続いてショーケンが逝っちまった。こんな時、あの頃を振り返る自分が居る。1960〜70年代、ヤングは深夜放送が恋人だった。御多分に洩れずこの俺も、勉強はからっきしだったけれど、ラヂオをよく聴いたもんだ。東京放送950kc・木曜深夜「野沢那智と白石冬美のパックインミュージック」の際どい話しにそば耳立て、ニッポン放送1310kc・平日夜「日立ミュージックインハイフォニック」のオープニングテーマには何度も何度も癒された。「非建設的なオヤジの昔話、ナンセンス!」。やばっ。
花より団子。今年も北越谷、元荒川「土手の居酒屋」が開店した。普段の心がけを反映してかこの日は気温の上がり方が鈍く、空から落ちるものを感じながらのお花見。もちろん仮設トイレ近くに陣を張り、心穏やかにグラスを傾ける作戦。これも内股・悶絶の学習結果だ。この桜も週明けの晴れで満開、そして花吹雪と姿を変える。あと何回、何年こうして仲間たちと季節の移ろいを共有出来るのだろう。そう考えると、二級酒が沁みる。桜木に青葉がふく来月、遠く離れた三人の孫と会える。もっと沁みるぞ。

《平々凡々大過なく》は、当初Windows95パソコンとPageMillソフトでサイトを作成・Asahi-netにてホームページを開設、2000年4月にドメイン「kury.net」を取得してWindowsを98・Me・XPと移行しながらHomePage‐Builderで2018年12月まで更新を続けてきました。しかしスマホやタブレットがインターネット接続主流となった今、これら機種への対応と併せサイト更新が簡便かつ場所を選ばないネット型作成アプリ「Jimdo」で2019年初からサイト全体をiPhoneから運用することとしました。

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