老害の二文字がチラついた。〈「還暦以上は口を出さず」次の世代に町の未来を託し〉。これは東日本大震災遺構「旧・女川交番」に記された言葉だ。50年先に居ない連中が街づくりを語るのは無責任、との大人たちの心意気が汲み取れる。4月7日特急ひたちで常磐線を北へ。去年9年ぶりに開通した富岡、大熊、双葉、浪江の区間、人影のない駅前や街並みの中にポツリ鯉のぼりを発見した時には特別な想いがした。仙台駅で乗り換えて女川、そして石巻も歩いた。テレビやYouTubeで観たあの惨事が撮られた石巻の日和山。今、復興の槌音が満開の桜の先に広がっていた。津波と原発。あの日から10年、「もう」それとも「まだ」…。


久しぶり旧友ふたりからメッセージが届いた。当サイトを観た、とN氏。曲「カレーライス」で過去を振り返っている、とS氏。独り芝居のKURY.NETに観客が居たなんて、ありがたい。故・遠藤賢司の唄は今なお70年代の匂いと圧が生きている。彼岸は親父の命日と重なる。先代への敬意とアリバイを込めて車庫のペンキ塗り、野良しごとを装う。畑の端っこにある桜が一分、二分と春を魅せている。こうなったらアレの出番だ。ツルツルっと今季初、酢好き麺喰い、好物の冷やし中華。言っとくが俺はクリハラ、メンクイでもない。

♪♪ 遠賀川土手の向こうにボタ山の〜。「織江の唄」(1981年) 作詞・五木寛之、曲と唄・山崎ハコ。五木著「青春の門」をイメージした楽曲、改めて現地で聴くと沁みたね。もちろんコロナ禍、”自粛警察”の目を盗んで抜き足差し足、好奇心と下心で直方・田川・飯塚を巡ってきた。明治以降、日本の近代化に不可欠だった石炭。その半分を産出した筑豊では巨万の富を得た起業家がいた反面、地底深く命を削った多くの炭坑労働者がいた。石炭の火が消えて早60年、切り札と謳った原子力は福島を今なお苦しめ、化石燃料は政争の具かつ地球を蝕み続けている。からっ風の冬模様、炬燵や石油ストーブを点けようか悩むところだ。


旧友も中々やるな。材料を仕入れてシャター式の棚などを器用に作る人。ぶっ壊れパソコンを部品と順次OS(95,98,NT,Me)を載せ替えて復活させた人。こんなご時世、自粛と趣味は好相性だ。自分も54年前の無線を復活、それとも縄のれんに流れようか…。男のロマン、拘りは果てしない。禁足の海外に想いを馳せながら、傾く太陽と週半分ウォーキング。寒風で「冬物語」(1972年NTV)が降ってきた。原田芳雄に憧れたっけ。長く伸びた影、黄昏なのかな?

《平々凡々大過なく》は、当初Windows95パソコンとPageMillソフトでサイトを作成・Asahi-netにてホームページを開設、2000年4月にドメイン「kury.net」を取得してWindowsを98・Me・XPと移行しながらHomePage‐Builderで2018年12月まで更新を続けてきました。しかしスマホやタブレットがインターネット接続主流となった今、これら機種への対応と併せサイト更新が簡便かつ場所を選ばないネット型作成アプリ「Jimdo」で2019年初からサイト全体をiPhoneから運用することとしました。

 

www.KURY.net管理者:埼玉県杉戸町/栗原しげる