日増しに早まる夕暮れ。午後四時の黄昏、人生もそう感じる。趣味の無線機やカメラの処分を始めた友人。白内障と飛蚊症のオペをした先輩もいる。とっくりセーターに襟巻き、サイドブレーキや三角窓が死語だと知った日、火野正平の悲報が流れた。彼の真似して与那国、天売にも出かけたもんだ。ここんとこで断捨離の真似事を始めた。出てくる出てくる。戦争をくぐった先代の重い引き出物、家族の書籍と文具、黄ばんだ写真帳その他エトセトラ。懐かしさで手が止まる場面もあるがバッサリも必要だ。そして午後三時半のウォーキング、北東に自分の影がなが〜く伸びている。あと一週間で師走だな。

東日本をぐるり呑み鉄、四泊五日。「大人の休日倶楽部」、JR乗り放題しかも新幹線や特急の指定席もOKと聞いちゃ即加入、即ゲットだ。新青森まででモトが取れる代物、胸を張って酒場放浪記を追えるぞ。まずは弘前へと動き「土紋」の口開客となった。ここは「豊盃」オンリー、あの吉田類や太田和彦も唸った店だ。翌日は秋田から酒田へ、両氏も訪ねた「久村」へ。しかし前夜が祟り、開店前の店を眺めて断念。三日目の直江津、駅近でホテルそば「みゆき」でキューとやった。次の日はJR西と東の分節点・南小谷駅を経由し辰野へ、久しぶりに長男と一杯傾けた。最終日は岡谷から新宿そして自宅、発泡酒に煎餅布団がやっぱり落ち着くね。

午前二時の枕元はペギーリーとジュリーロンドン、三時からは岩谷時子作品集。NHKラジオ深夜便、今夜はお気に入りが並んだ。人の心と同じく安定しない天候の秋、せめて夜は穏やかであって欲しいね。こそこそストーブの季節、灯油を仕入れ試運転がてら芋を載せる。採暖に加えて焼き・煮炊と三役、向こう約半年お世話になりますよ。北風が気になるこの時期、毎年まじめに実を付けるのが老木の柚子。料理の薬味や冬至風呂とこれからが出番だ。さて先輩を載せたピースボート、現在南米のペルーにいる。世界一周の航海もあと一ヶ月、横浜で帰りを待ってるぜよ。


「骨まで愛して」がラヂオから流れた1966年、中学三年生。その中学生62名(学年の4分の1)が昨日、コロナ禍を越えて同窓会で久しぶりに再会(右上)した。歳月は風体を確実に変化させていたが58年前の話題ともなれば悪ガキ&おきゃん娘まる出し。料理が供されアルコールが入ると更にワイワイ、幹事らは進行に苦労しただろうね。恐ろしいことに当時の先生方(左下)よりも自分らの年齢が多いことに気付いてしまった。木下富雄(元広島東洋カープ内野手)からのメッセージ、倉持同窓会長らの骨折りに感謝。なお同窓会は今回限り、以降はクラス単位や有志での集まりとなることも報告・確認された。また会いたいね〜。