幸福の黄色いハンカチ

傘を差すのは面倒。「雨雲レーダー」で降りだす頃合いを見定め、家を早目に出るとしよう。peach航空のフライトまでは半日以上もあるので途中、時間調整。成田空港への経路と放映スケジュールを考えた結果、柏駅前で「杉原千畝」を観る。EUでいま問題となっている難民。「遠い」話しと傍観している自分を追及するような内容だった。

peach航空、片道4,000円。案の定、1時間遅れの午後5時、新千歳空港ランディング。早速レンタカーを転がし、夕張へ急いだ。夏至の勢いを借りても、ホテルに近づく頃には車のヘッドライトの助けを要した。投宿先は「シューパロ」、飛行機代に届く金額だ。シャワーを浴びた後、駅前の屋台村にスキップ。しっかり15分、喉は砂漠状態になっている。

雰囲気と品書きの交点、この店先に座る。キンキンに冷えたジョッキに注がれた生、グビグビ腸に染みるね。焼け石に水、いやビール。客も殆どハケた屋台村、大将が世間話に応じてくれた。商売をしていた親の時代はそりゃ、たいそう街は賑わっていた。バブル期以上の騒ぎだったらしい。炭鉱を閉めた後、あれよあれよと火が消え、10万からの人口が9千にまで減ってしまった、と。焼き魚を日本酒で流し、半量の寿司を握ってもらい二杯目の日本酒とともに腹に納めた。そしてありがとたいことにも、大将が車でホテルまで送ってくれた。嬉しいオモテナシだね。

前回、同じLCCで冬の夕張を計画した。しかし飛行機が遅れた場合、列車の連絡が敵わず、その日に着けないことが分かり、目的地を余市や小樽に変更した経緯がある。それだけ電車の便は悪いのだ。かつて輝いた駅、鉄路はここでEND。夕張の山川はどんな思いで変遷を見詰めていたんだろうな?

そんなこんなを知りたくて市役所を訪ねた。若い職員が多く目に止まる。職員数も破綻前の3分の1近くの100名ほどと聞いてびっくり。当然、市民サービスの低下は避けられない。忙しい中、職員さんにお願いして市政概要の資料をいただいた。市名はアイヌ語「ユーパロ」(鉱泉の湧き出るところ)の説。日華事変以降の資源調達で増産、開鉱を繰り返した。最大人口は1960年(S 35)116,908人、現在では9,362人。激減の背景には1959年の「鉱業合理化政策」(石炭から石油へ転換)が大きい。時はバブル前夜、国の誘導もあり、衰退の切り札として観光があがった。これにより借金が膨れ上がり10年前、財政破綻を迎えた。いつの時代も国の財政政策のツケを地方、国民が背負わされる。

夕張が全国区になるのはメロン、そしてこの看板が示す映画だろう。キネマ通りには国内外の映画看板があちらこちらに設置され威容をに誇っている。見事だ。「夕張に行ったら是非、石炭博物館を」と先輩に勧められていたが、あいにく改修中。好きな女優、桃井かおりが健さん鉄矢と絡んだ「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地も外せない。5月の風にたなびく黄色いハンカチが銀幕に現れた瞬間、誰しも胸を熱くしたに違いない。

何年か前、男三人で道南を周ったことがあった。札幌北広島の友人宅を訪ねた折、供されたのが鵡川(むかわ)の柳葉魚(ししゃも)。この時の衝撃はいまも舌が覚えている。知っているししゃもとは別物、とにかく美味い。去年ネットで取り寄せ自宅で焼いたがあの味がないことを告げると、「焼き方なんですよ」と大野商店の若女将。一連10匹1,500円を目の前で焼いてもらった。ジュウジュウと香ばしさがたつ。「どうぞ」の号令であちっち、ハフハフと口に運ぶ。これこれ、この味、この美味さ。自分用に日持ちする珍味柳葉魚を持ち帰ろう。

レンタカー返却時間の夕方5時をにらみ、むかわ町から千歳へとアクセルを踏む。札幌を除き、北海道の道路はスイスイ進む。特に「わ」ナンバーはスピード違反の餌食になるらしいので要注意だ。そして今夜は、明日のフライト時間を考慮して、千歳駅直結「ステーションホテル」に宿をとる。チェックイン時、今宵の「ディープな店」を無理して教えてもらった。「みのる」がそれという。一件ネットの書き込みを発見。確かにクセがありそうで眼鏡に適いそうだぞ。シャワーで清め、風が冷たくなってきたので長袖に着替えていざ出陣。「ありゃ暖簾が出ているが、引き戸も鍵が掛かっているようで重い」。仕方なく別の店に挨拶。ここの女将の勧めもあり、電話で再チャレンジ。「やってますよ」の返事で「裏長屋」を早々に退散して第一候補地に戻った。

入口には蕎麦屋と書かれ、暖簾には居酒屋と記されている。年季の入った構え、この扉の先にはどんな世界があるんだろうか?大将は元自衛官、大砲部隊に所属し54歳で退官。その後、呑む趣味と実益を兼ねて、店を始めたとか。味のあるこんな店にもCA (航空客室乗務員)の贔屓がいるらしい。確かに千歳は飛行場と自衛隊の街。仕事や接客に疲れた人たちが羽根を休める場所が必要なんだろうな。ここでは麦、米、芋の水を流した。

夕方発で朝帰りの2泊3日、中1日だけ十分動けた夕張市、むかわ町への駆け足旅行。自分へのお土産はししゃも&ウイスキー。帰宅後はこれで旅行の反省会だ。ゼニはそれなりにかかるが、座してしなびて朽ち錆びることはしたくはない。今日はイギリスがEU残留、離脱の国民投票日。来週はビートルズの来日から50年。世界も時間も動き、変化している。次回はどこに動こうかな?


「雲上の楽園」(松尾鉱山・岩手)、「総資本VS総労働」(三池争議・熊本)、「鉄筋アパート群」(軍艦島・長崎)、「最後の遊郭」(飛田新地・大阪)、そして「地域破綻とメロン」(夕張市・北海道)・・・。

自分とは何ぞや--。親はどんな人生を歩んでいたのだろうか?自分が生きている基礎や背景、座標は?近代日本がどのように紡がれ今日、自分が在るのだろうか?--その引き出し、糸口がもしやここにも・・・。



旅行期間:2016年6月21日~23日