「月が出たでぇたぁ〜」から「去るも残るも、行くのも地獄」。近代日本の繁栄を支えたのが石炭。一時は全国の半数を産炭したのが福岡県、大小300余の炭鉱が飯塚と田川そして集積地の役割も兼ねる直方に在った。「筑豊の子どもたち」(土門拳)を深化させた「写真万葉録筑豊」(上野英信・趙根在)を知り2月、マスク手洗いディスタンスで行動をおこす。羽田空港から福岡そして小倉、下関から海底トンネルを潜って門司へ。その先には今回の旅行の目的地「筑豊」がある。

初日19日、羽田から福岡に飛ぶ。宿泊する下関の手前、小倉駅で途中下車。NHK新日本紀行で観た小倉城と旦過市場に寄り道する。お城は冷やかし、メインは「小倉の台所」。コロナ禍にあっても庶民の胃袋は「自粛」対象とはならない。いい感じのショーワが健在、好きだな。
下関の宿はハーバーサイド、下関グランドホテル。素泊まり5,000円。関門海峡を挟んで門司港が手の届く距離にあり、雰囲気はベリーグッド。「あの〜海側の部屋に変更出来ますか?」「ツインなら5,000円の追加で可能ですが…」。もちろん「じゃ、このままで」と声を小さくした。是非この次、ツレと来たいと思った。何ともチグハグな市街地とは異なり、ここはいいぞ〜。

下関はフグ、いやフクが名高い。その取引はここ唐戸市場で行われる。2日目の朝メシはお約束の市場メシ、1,600円「おすすめ」で腹が膨れた。今日のスタートは目玉の関門トンネル。海の下を歩けるなんてちょっぴり興奮する。15分で対岸、門司側にたどり着ける。珈琲で一服した後、門司港から折尾経由で直方に入る。

直方は、今でこそ平凡な地方駅だが往時はズズ〜イと引込線路を延ばした、筑豊の石炭の集積・輸送大拠点であった。目的の石炭記念館は駅から10分、前触れもなく立ち寄ったのに館長が直々に案内してくれた。石炭鉱業組合会議所も併設、明治・大正・昭和のエネルギー政策の成り立ちやその舞台裏、保安訓練施設など数々の資料や用具が展示されている。遺構規模は田川に譲るけれど、史実感と展示物の濃密さはここがピカイチ! ちなみに八尋(やひろ)館長は元国鉄機関士、施設内SLの制動操作を見せるサービスも抜かりがない。この日の宿は「ニューホープ」素泊まり5,700円、肩が触れ合う混雑は過去となったふるまち通り商店会に人が戻ることはもう無い。

3日目は直方から田川へと移動。駅の反対側、小高い丘の上に広がる石炭記念公園の一角にその博物館があった。巻上げヤグラの威容、天に伸びる二本煙突。まさに炭鉱繁栄の生き証人だ。どちらかと言えば出来過ぎの感がある館内、2階には山本作兵衛の展示室もある。ジオラマでも分かるが、ここ旧三井田川鉱業所のデカさに「どんだけ〜」と叫びたくなる。いま歩いている地べたの奥底で炭坑夫はどんなことを想い、何を楽しみに日々真っ黒い汗を流していたんだろう…。

今日はもう一箇所、炭鉱施設をみる段取りだ。駅ホームで飯塚行き電車を待ちながらコンビニ弁当を胃袋に流し込む。新飯塚駅から西に、遠賀川を渡ると旧市街に入る。欄干越し遠くにカメラは通称・筑豊富士を捉えた。忠隈炭鉱のボタ山だ。ボタ(石炭クズ)から使える石炭を拾い集めて僅かな生活費に充てる人も少なくなかったという。もちろん転落事故や自然発火による火傷など危険との隣り合わせだ。


旧市街には嘉穂劇場が現存、日によって興行も行われている。伺った時は太鼓の興行とかで中に入れず残念。この界隈は吉原町、昔は殿方の社交場。寂れたスナックやバーの看板が今なお色街の風情を残していた。駅東口の飯塚市歴史資料館も覗いたがチト期待外れだったな。最終日の宿は飯塚病院(地元では麻生病院と呼ぶ)そばの「センチュリーホテル」朝食付き6,100円。打ち上げは近く小料理屋「ふる里」だ。カウンターの酔客と与太話、スリーショットを残す。ウィ〜気持ちよく酔ったな。

帰郷22日、飯塚から博多へ快速電車に揺られ50分。予定したフライトが機材やり繰りで80分の遅延、とメールが入った。これ幸いと駅のラーメン横丁、豚骨も考えたが無難な醤油味を指し、ソースカツとのラーメン定食とした。満腹に宝くじ売り場、しかも「大安2月22日」。ロト6、今度こそ今度こそ、当たる気がするんだ。早く大手を振って胸を張り国内放浪、そして言葉の通じない習慣も異なる海外に足を踏み入れたいな。この次は…。
旅行期間 : 2021年2月19日〜22日