翔んでバルト三国

台風が接近する中、羽田からソウル・金浦に飛んだ。明日は仁川からヘルシンキを経由してローマに入る。今夜はソウルの定番、焼肉とビビンパ&泡ドリンク。あいにくの雨、傘を持ってくるの忘れたかな?
翌日は10時過ぎのフライト、フィンエアだ。9時間余のフライト、映画やipadの電子本、身体を横にしたり過ごす。「翔んで埼玉」は底抜けに明るく、笑ったな。ヘルシンキで乗り換えローマ・フィミチーノ空港には19時前、日本時間の深夜2時着だった。

イタリアで3日間の骨休めを経て、今回の目的であるバルト三国を目指した。夜明け前のチャンピーノ空港からリトアニアの首都ヴィリニュス、LCCライアン航空に乗った。
ヴィリニュスの宿は「ヨーロッパロイヤル」。駅からも近く「夜明けの門」をくぐった先、グンバツな立地しかも4星ときたもんだ。

中世を模した雰囲気のあるホテルダイニング。珍しい30を超えるメニューに初老ジャパニィーズは大はしゃぎ、ちょこっとづつあっちこっちと手を伸ばす。がっつり飯・健康飯でリトアニア第2の都市、カナウスへと向かった。
海外とくにアジアに出かけると侵略による植民地、略奪や強制連行、慰安婦などを象徴する日の丸。しかし、ここでは杉原大使による人道的判断(日本政府はビザ発給を認めなかったが)が6000人ものユダヤ人の命を救ったことを肌で知り、旧執務室の日の丸が杉原千畝によって誇りにも感じられた。
ラトビアへ陸路移動。途中「十字架の丘」に立ち寄り休憩を挟んで5時間、340kmを北上した。先輩から「行くんだったらこれを読まなきゃ」と勧められたのが「リガの犬」。こんな穏やかな街、KGBや市民相互監視の息の抜けない中で独立を求めた闘いがつい30年前にあったなんて…。
リガの宿は4星。駅やバスターミナル、中央市場にも近い願ってもない一等地だ。普通ならばとても手が出ないクラスだが、リトアニア〜ラトビア〜エストニアの宿と移動手段をセットにした「北欧トラベル」調製の個人ツアーがなせる技なのだ。
翌日はリガから特急バスで4時間半、エストニアの首都タリンに動く。落ち着きどっしりした街並み、時として重苦しさえ感じる風情はバルト三国が共有するものだ。ホテルは旧市街の目と鼻の先、タリンクホテル。身に余る敷居の高い宿、8階から見下ろす市街は、絶景かな!
タリン2日目、幸い今日は降水確率ゼロ、石畳に吹く風も陽当たりを選べば観光日和。宿代に朝メシ含む、とあればガンガン喰いたくなるのが貧乏人の人情、日曜の食堂は7時ではなく8時とオープンが遅い。空きっ腹に並ぶ数多の食材が眩しい。スタートは野菜、次にメイン料理、仕上げはフルーツと決めている。
どうよ、この風景は。ヴィリニュス、リガにも負けない中世の街並み、城壁に守られたお城や教会群。雰囲気に任せて路地のカフェ、舌代9ユーロなケーキ(1)に珈琲(2)をいただいた。この国もドイツ、ポーランド、ロシアの侵攻を受けて軍門に下った過去を秘めている。この街にも血の雨が…ついぞ30年前まで…。その現場は今なお目を覆うものばかりだ。


タリンからヘルシンキまではフェリーで2時間。大型船、揺れることもなくフィンランドの地を踏むことが出来た。お昼過ぎ、陽射しもあり温暖と感じるが、気温は上がっても9度。股引がありがたい。フェリーターミナルからヘルシンキ中央駅までトラム。予約したホテルは16時からしか入れないので駅地下のコインロッカーに荷物を預けて、市内散策だ。
タイミング悪く23日から何かの学会開催とかで宿代が跳ね上がっちまったよ。Bookingコムで予約「オメナホテル」。予め送られる部屋番号、ドアコードで直接入室するシステム。翌朝、スーパーで買ったペンネの残りをおかずにアルファ米でガッツリの朝メシ。ある意味ヘルシンキの代名詞、小林聡美らが演じた「カモメ食堂」からスタートする。その後はテクテク港の市場、有名そうな寺院を2、3箇所(名称は失念)ウロウロ。北欧独特のキリッとした空気が足底痛さえ忘れさせてくれる。
12日のソウルを皮切りに2週間ぶりの日本の空。シベリアから山形、茨城と飛んだJL414(フィンエア共同運航便)は25日午前9時前、成田空港に到着。この先、押上経由で自宅の杉戸高野台へ帰る。

来月は阪急ツアーで伊根方面、11月は2度目のお遍路を計画。せっかく与えられた生命と運命、限られた時間。色々な味付けを楽しまなくっちゃ、ね。
〜完〜
旅行期間 : 2019年9月12日〜25日