隠岐島、四島を駆ける

コロナ禍ですっかり腰が重たい。10月11日、澱んだ空気に一筋の光が射しました。それが「全国旅行支援」、年金生活の遊び人には願ってもないお恵み。予約済みの旅行もその対象となり空路、船舶、レンタカー、民宿、寝台特急の旅程費用が軽くなりました。行き先は四つの島からなる隠岐島(おきのしま=島根県)。離島の景色に地酒と地魚、こてさんね(方言=居心地がいい、たまらない)。じゃ、始めますぞ!

全国旅行支援、同じ下心か羽田空港は朝から混雑。残マイル消化で米子でなく出雲空港をチョイス、ついでに足立美術館と隣接する八木節演芸館に立ち寄る。猫に小判の美的センス、どじょうすくいが似合う自分だが話のネタに一度は、と。そんなこんなで電車の時刻に合わせて安来から米子、泊地の境港へと動く。

境港線は妖怪に乗っ取られていた。始発の米子駅は「ねずみ男」、途中には「砂かけばばあ」や「一反木綿」、終点の境港駅が「鬼太郎」だ。その徹底ぶりには舌を巻くね。平で砂地の境港市、対する松江市側は山並。この対照的な地形の云々を以前NHK「ブラタモリ」で取り上げていたけれど、忘れた。それは兎も角、駅前に威容を誇る高層ビルが今夜の宿だ。

ハイカラ、12階建の「野乃」(のの)。多少サビの目立つヤングバディに磨きをかけて、18時半の水木ワールドに飛び込んでみた。幻想的なその世界、ウヨウヨと闇に浮かび上がる妖怪たち。素面では到底先に進めない、とおでん屋の看板に吸い寄せられた。ここならば「ざしきわらし」や「こなきじじい」も手が出ない筈だ。ウィ、全国旅行支援に乾杯!

早速、旅行のメインイベントを開始しよう。隠岐島へは、ここ鳥取県境港からバスで対岸の島根県、松江の七類港から2時間の船旅。今回は「隠岐旅工社」が組んでくれた3泊4日の個人ツアー。七類港から知夫里村(ちぶり)、西ノ島町(にしのしま)、海士町(あま)、隠岐の島町(おきのしま)の4島をフェリー5回、レンタカー4台、民宿3泊、観光船1回が含まれる。旅行支援の恩恵で当初予定額の2/3、こりゃ嬉しいね。

知夫里島は牛の島。ボンジュール、その観光案内所にはフランス人三名が職員として働いていた。流暢な日本語、小さな離島に何故? レンタカーを走らせると通せんぼ、道路は立派な落し物が当たり前だ。「邪魔だ、汚い」はご法度、生業の立役者を邪険にしてはならない。島の高台「赤ハゲ山」に立てばぐるっと海、少し走れば絶景リピート。隠岐は初日から魅せてくれるな〜。今晩の宿はとなりの西ノ島、小型船「いそかぜ」で移動。民宿「かふぇ春」。客はオレ1人。晩飯はごっそうが並び、クーポンが3,000円(写真はその買い物)、食事券も1,000円が供されるもてなし。挙げ句の果てに地酒と米が渡される太っ腹ぶり。牛だけにうっしし、モ〜レツだな。

西ノ島は運河を挟んで東と西に分かれている。民宿そばのレンタカー屋から西側へ転がして名勝「国賀海岸」を海から眺める計画だったが、波高で知夫里の赤壁コースに変更された。その後、改めて地上から国賀海岸を攻めたが、西ノ島最大の景勝地の看板は間違いなかったな。

3つ目の島、海士町へ「フェリーどうぜん」で揺られる。菱浦港の観光協会でレンタカーを借り受け、3キロ先の「なかむら」へ向かう。構えはザ昭和、正しい民宿。しかし店主はミュージシャン風情、食堂にはバンド機材がスタンバッているじゃないの。有り難いことにこの民宿でも支援クーポンと飲食券が準備されていた。

正直、海士町には眩しい観光地は無い。民宿をチェックアウトした後、近くの隠岐神社を参った。宮内庁が管轄する歴史ある神社とか。折角のナビ、島の東側にある「明屋海岸」を入力。海岸近くでソロキャンパーを発見。松江から自転車にテントや調理道具など担いで一泊で来ていた。半世紀前の自分の輪行(りんこう)体験、山口県萩から京都府福知山まで国道9号線を駆けた話などで暫し交流会。やっぱり男の子は「独り」が好きなんだね。

 

ここ海士町で学びがあった。すでに菱浦港から活気が匂っていた。学生や若者を目にしたのだ。行政の音頭で、島外から積極的に移住者などを受け入れているんだ、と観光案内所職員や民宿主人の弁。旧来の住民や高齢者との擦り合わせ苦労も当然あるだろうが、「三者」(さんもの=よそ者、若者、変わり者)がカンフル剤となっていることは間違いない。

 

さてと、フェリーの次なる行き先は四つ目かつ最後の島、最大の面積と人口を有する、西郷港の隠岐の島だ。

西郷港着が14時、早速レンタカーをピックアップして島の反対側にある民宿「井の本」にナビを入れた。後で知ったが、民宿のオヤジは福浦港所属のローソク島観光船「しゃくなげ」の船頭。この日は赤崎港船が出航当番のため、非番でカカアの手下となっているんだとか。

さて本命、ローソク島。船種によっては漁船に救命胴衣着用での観光になるが、自分の乗った船は大きめで室内からの展望が可。夕陽の時間帯しかも海風・波しぶき、このアドバンテージは大きかった。ズームを最大にしたデジカメでバシャバシャ、左手のiPhoneでポチリパチリ。その中の2枚がこれだ。そして今宵も海の幸で、乾杯!

朝食後、民宿を「9時半過ぎに出たい」と告げると、「医者に行くんだよ」。オヤジの直球な返事に正直、ムッとするも、ここは工事関係者の宿泊がメインと悟り、8時出発と改めた。仕方なく白島海岸に足を伸ばして島観光をオープン、のんびりハンドルを握り秋の陽光に染まることとする。道中、隠岐郷土館をたっぷり見学。ここまでの旅行の安全、天候に感謝して併せて無事の帰宅を祈願するため、二つの名刹も訪れた。「水若酢神社」に「玉若酢命神社」。それぞれ歴史とそれなりの謂れがある、と言うが…。そうそう、おみくじは「末吉」。先が楽しみだな〜!?

3泊4日の隠岐もゴール。西郷港からフェリーで本土・七類港に戻り、今夜の汽車で東京を目指すのだ。2等車では二段、三段が当たり前の寝台列車も当世、ハイカラ個室流行り。半世紀前の寝台急行を想い起こす今回の旅行だが、流石にカーペット敷き「ノビノビ座席」は安くてもゴメンだ。多分、人生最後の寝台列車と確信して大奮発、米子〜東京にドッカ〜ンと22,880円を叩いた。そのサンライズ出雲、個室はさながらコンパクトホテル、すこぶる快適。駆け抜けた島を振り返りながら、グビリまたグビリ。流れ去る街の灯を缶ビールに焼酎で追いかける至福。ウィ〜。足腰とシモ、すべてに感謝だな。

 

資源開発・富国強兵、時には選挙目当ての鉄道敷設の国鉄もついに「赤字」やトラック輸送の現実の前に「分割・民営化」を選んだ。他方で「J R」の目的は、『総評とその中心にある国鉄労働組合「解体」と併せ、野党勢力の「弱体化」を狙ったもの』(中曽根康弘の弁)であった。

 

結構、寝られたな。枕が変わるとどうも、というデリケート(小心と他人は言う)な自分だが、東京着の身体は軽かった。コロナ禍で行動・交流を閉ざす向きもあるけれど、それなりの防御対策で今後も尻軽を決めたいね。さて、次はどこかな? 海外にも出たいな・・・。

 

旅行期間 2022年10月17日〜10月21日