十泊十一日のお遍路、徳島前泊を含めると十二日間の観光、いや修行が結びを迎える。最終日は遍路開始日同様、不安な雲行きだ。気温も全国的に気温も下がっている。昨夜の精進落とし、カラオケあり踊りありで盛り上がったな。
八六番から八七番、そして結願の八八番。ツアー参加者で唱える般若心経は特別の想いだ。もし歩き遍路だったら絶対、泪するに違いない。
三十名の中には家族を亡くされ、または病気の人も少なくないらしい。これまでもいろいろな場所で肩を震わす人を見たし、この寺でもはばからず泪を流す人もいた。当然、足腰が動き利かなければこの場所にも立てない。健康の二文字の重みを改めて知る。
そして振り出しの一番。ここでは無事の結願、そのお礼参りだ。十一日前、ここに着いた時は先行きの不安、勤行の作法や読み方さえ知らない人が大部分。でも今は確実に違っている。般若心経などもスラスラ、ろうそくや線香もサクサクと立ち回れるようになっている。
その立役者、先達の田所さんとツーショット。自分とは考え方がチト異なる部分も無くはないが、いろいろな人生を見させてくれた恩人である。感謝、合掌。
フライト時間まで徳島駅周辺でひま潰し。スマホで「徳島、JAZZ喫茶」とググって「ブーサン」が浮かんだ。幸い駅の近く、雨の中だったが傘を差し荷物を転がした。駅ビルでも時間調整して徳島空港に向かうシャトルバスに乗り込んだ。
お寺など興味も無いし、宗教にすがる気持ちは今も他力本願だと、理解に苦しむ。神様は唯一、自分の中に宿るものだと思っている。しかし、この胸の高鳴りは何処から来るのだろうか。朽ち枯れ、その時が近いのだろうか?不思議だ。
雨の徳島空港エプロンを駆けながらこの間の一期一会、おぼろげ印象の数々の寺が目の前を廻る。神様から授かった生と配役にそれなりに向かい合い、過ぎたことをくよくよしない、先のことを心配し過ぎない、笑うことと腹八分目、動き働くことを今一度並べてみた。
ふんっ。死んであの世に行って帰ってきた人は誰もいない。見てきたようなことを偉そうに言うなんて、信用出来ないよ。宗教が人を救うんだなんて、嘘だ。狭いニッポン、そんなに拝んでどうするの。そんなことよりも、いま世界と地球、宇宙がどうなってんのか、照らして欲しい。煩悩が磨かれたこと、それが成果だな。ウィ。
そんな訳でして、無事の結願を果たし、今度はその報告と併せ満願目指し2016年4月、高野山にあがります。<おしまい>